観てきました! 『ぬぐ絵画』in東京国立近代美術館

観てきました! 『ぬぐ絵画』in東京国立近代美術館

いつも東近美さんの資料室にはお世話になっております(深々とお辞儀。
展覧会もよく観に行きますけど、この展覧会は、わたしの周囲でかなり話題になっていまして。
観たいなー、と思っていました。

なんとか滑り込みで間に合ったー。展覧会ってはやく観に行きたいのに、気がつくといつもギリギリ。
そういう方多いのか、結構会場もこみ合ってました。

ぬぐ絵画=はだかってことなんですが、ぬぐ絵画って思わせぶりなタイトル・・・そう、日本近代では、はだかを描くことは道徳的な意味でご法度でしたし、なかなか西洋のような裸体の絵画を描く、観賞する土台が作られるのに時間がかかったということなんですが。
サイト解説にある「はだか」という言葉。ヌードと書かず、あえてはだか、なところにこだわりを感じました。
ヌードというと、どうしても外来のものをイメージしますが、近代絵画におけるはだか、ですので、日本語としてのはだか、を意識したのではないかと(勝手に)思っています。
西洋からの外来語としてのものではなく、あくまで日本のはだかの形成ということではないかと。
もちろん、フランスなどヨーロッパで洋画を学んだ画家たちがヌードをとりいれたわけですが、有名な黒田清輝の《智・感・情》(1899年、東京国立博物館)などは、日本で理想的な裸体画を根づかせるために描いたもの。描かれたのは明治期ですから、ひとびとのこの絵への反応はたいへんなもの。いまでこそこうしたはだかは見慣れていますが、特に下半身を見せるなんてとんでもない!と思われていたそうです。
まあ、いまでもそうでしょうが、小学生がたとえばエロ本を拾ったとして、それを見ている男の子を、女の子は「すけべー、ヘンタイ!」ってなじり・・・ますよね?
そんな感覚だったんじゃないでしょうかね。はだかの絵を見たときの反応って。
「ちがう、これはれっきとしたアートだから」とその男の子が言ったとしても、「ばっかじゃないの、男子!」ってなりますよね?
実際、彼が観ているものが、たとえばエロ本ではなくて、アングルの画集だったらどうでしょう(アングルは新古典主義の画家で、つるっとした肌でかわいらしい女性や歴史画などを描いた画家です)。
「これはアートだから」・・・「ふうん・・・○○くんってすごいね!」って・・・なりますか・・・なることにしておいてくださいます?(ちょっとこのたとえが微妙であることに気がつきました)

まあ、とにかくですね、その感覚を根づかせようと必死だったのでは。
西洋人とは違う方向に美への関心が向いていた日本人を、きちんとした見方ができるように導こうという・・・明治期の西洋からの影響がうかがえますよね。

そういったことがなるほど、と理解できるような展覧会でした。
絵に実際布をはって、下半身を隠して展覧会で展示されたものなどもあったそうです。
本の挿絵でもはだかの絵があると、発禁本にされたりしたらしいです。
今観ると、「え、なんでこれが?」と思うものもあるのですが。不思議ですねー。

100点ほど作品数があったそうですが、あっという間に観終わった印象。
常設展のほうには、こちらでは展示されていなかったはだかの絵が展示してあり、充実した展示だったと感じました。

今ではすっかりはだかに関しては日本もプロパーになりましたよねー。
あ、でもそれは相変わらず聖と俗を行ったり来たりしているようにも思えますが、きれいにジャンル分けされているような気も。

今日までなので、観ることはもうかないませんが、機会があったらカタログを観てもいいかもしれませんよ。
あと、特設サイトがなかなか凝ってます。


http://www.momat.go.jp/Honkan/Undressing_Paintings/highlight/index.html


そんなわけで、また!