六人部 昭典 (著)『もっと知りたいゴーギャン 生涯と作品』 (アート・ビギナーズ・コレクション、2009年)

六人部 昭典(著) 『もっと知りたいゴーギャン 生涯と作品』 (アート・ビギナーズ・コレクション、2009年)

一歩じゃなくてすみません。
と、いつも謝っちゃってますが、一応、おすすめ漫画と美術書紹介が中心のレビューですからね。。いいか!(自己解決)

もとい。。
ビギナーズ向けのシリーズのうちの一冊です。
2009年といえば、東京国立近代美術館ゴーギャン展が開かれた年ですね。。
ボストン美術館所蔵の《我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか》(1897−98年)という作品をご存じでしょうか。

謎がたくさんあると言われてる作品ですが、間違いなくゴーギャンの代表作ですね。ものすごいでっかい絵です。
題名も長いが、絵もでっかい。。この題名を見て、「しらねーよ、どっから来たかなんてよ」とつっこんではいけません。
いえ、つっこんでもいいんですが、この題名に引きずられすぎてはいけない、気がします。。。
もとい。。大きさ、139.1×374.6cmですよ。でっかいな。。横が見きれないくらいでっかいです。もんのすごく離れてみるか、近づいて部分を見るか、どっちがいいのか。
それで、遠くへいったり、近づいたり、へんな反復運動を繰り返して猛烈に疲れる。。。よくある話です。。(わたしだけか)
この絵が、この展覧会できたのですよ。
いや、もう狂喜乱舞というか。何がすごいといわれると、説明するのがものすごーく長くなりますのですので、とになく一見してください。
ポーズがどうだとか、意味がどうだとかいう前に、まず見ることが大事ですからね。
多分、この複雑な絵に、はじめて見た方は「なにこれ?」って思うと思います。
そうです。迷っているんです。迷走というよりは瞑想かもしれませんが。
彼は実は常にアイデンティティに悩みをもっていました。お母さんはベル―人です。
南米へ行こうとしたこともあります。
証券取引所で働きますが、デンマーク人のメットと知り合い、結婚します。
それから、画家を目指します。印象派展などに出品して、画家として次第に売れ始めますが、住まいは転々、ルーアン(フランス)やコペンハーゲンブルターニュなどなど。
それは、絵の題材を探すためでもありますが、自分探しの旅だったのかもしれません。
若い画家たちに尊敬され、有名になっていきますが、今度はタヒチへ旅立ちます。
つねに金に困っていたゴーギャンブルターニュへ行ったのもお金がなかったから、タヒチへ行ったののも、半分安かったから、だったんじゃないかと疑いさえもちます。
いや、べつにお金のために行ってもいいんですけれどね、画家も人間ですから、生活がありますからね。。そういう画家もたくさんいましたよ。
じゃあ、パリでひもじく生きててもいいんじゃ・・・なんて野暮なことはいわないでおきましょう。。

しかもタヒチでは現地妻までめとります。メットという妻がありながら、ですよ。
わからない。。ま、現地ではそういうのが普通だったらしいのですけれどね。フランスから来たお客様をもてなすための。
そのあたりもいろいろと論争になりますが、まあ、とにかくタヒチで描いた絵はだいぶ異なります。
プリミティヴィスム的な作品、ゴーギャンの野性が爆発したものがたくさんあります。色といい、構図といいたいへん斬新です。
そのうちに、長女(メットとの間の子です)が亡くなります。そして、自分の死についても考えたゴーギャンは、遺言として、この大作を描きます。。ゴーギャンの人生がつまった絵です。
すぐに理解できなくてあたりまえです。彼の悩みやそれまでの価値観がぎっしりつまっているのですから。
遺言といっても、死にきれず、ゴーギャン1903年まで生きます。なかなかついらい人生だったかもしれませんが、その分作品にはパワーがみなぎっています。
面白いのは、ゴーギャンキリスト教の世界観をあまり好んでいなかったはずなのに(時にはキリスト教の因習をメッタ刺しします)、タヒチへ渡ってからは、キリスト教の典型的図像を用いて絵を描きます。
オレら嫌いなら構図かりてくんなよ、おいっ、って、キリスト教の偉い人に言われたかもしれません。(すいません、これはわたしの妄想です)
そんなひねくれた画家ゴーギャン。。

この本は、こんなゴーギャンの人生をわかりやすく解説してくれています。
手紙などの引用もあり、一般の方から、学生さんで卒論のための予備知識を得たい、授業で習ったからおさらいしたいなんて方にもおすすめです。
図版がたくさんあるのもうれしいですね。説明もわかりやすいです。
《我々は・・・》の図版も大きく掲載されていますよ。


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