映画『愛を読むひと』を観る・・・そして泣きました

映画『愛を読むひと』を観る・・・そして泣きました

観ましたよ。
連日、眠れない夜が続いて、どうしようかと思っているのですが、このブログだけは最低限書きたいと。
そんな意地から成るブログです。はげましのお言葉をいただくととても喜びますです、はい。


最近録画機器を購入しまして、アホの子のように映画を録りためております。2時間だと、帰宅後ご飯の用意などしながら一時停止を繰り返しながら観れますからね。流しっぱなしだと重要な場面見逃すし、こうやってながらでだらだと映画を観るのが好きなのです。サイコホラー系が続いたので、この辺で恋愛ものを、と思ったんですが・・・泣けた。

もし端的に言うとするならば、ハンナ(ケイト・ウィンスレッド)とマイケル(レイフ・ファインズ)の恋愛譚なのですが、一筋縄ではいかなくて。
ネタバレ要素を今回は語らざるをえません、事前情報なしに観たい方は特に後半をざざざっと読んですっとばしてください。


舞台は1958年のドイツ。15歳の少年マイケルは、帰宅途中気分が悪くなり、ハンナの家で看病されます。21歳年上のハンナは、15歳の彼には、とても魅力的で。2人はすぐさま肉体関係をもつように。けれども、これは序章にすぎません。そこから先、長いストーリーがあるのです。
ハンナは、読み書きができません。どうしてかはわかりませんが、そのため、マイケルが枕元で毎日のように読んでくれるのを楽しみにしています。『オデュッセイア』やチェーホフの『犬を連れた奥さん』『チャタレイ夫人の恋人』『タンタンの冒険』などなど。
しかし、こんな恋愛、いつまでも続くわけはなく、とあることをきっかけに、突然の別れが訪れます。
これが物語のなかで重要なのですが、要は、読み書きに関することです。
マイケルは、いつのまにかシュトゥットガルト法科の大学生になり、とある授業で、ナチ裁判を傍聴します。そこに、ハンナの姿があったのです。マイケルは、尋常ならざる気持ちで裁判を傍聴しますが、そこでひとつ明らかになることが。これが読み書きに関することなのです。
ハンナは刑務所に収容され、マイケルは、自分の声を吹き込んだテープを、ハンナに送り続けます。いくつもいくつも。彼女が収容されている間ずっと。
そのうちに、ハンナは、文字を書けるようになります。独学です。勉強方法がすごい。聞き取った文字の単語数を数えて、ザという発音はtheと綴るというのを耳で覚えていくのです。意味はわかるので、文字だけ追えばいいのでしょうけれど、根気のいる作業です。
そしてついにマイケルに手紙を送れるようになります。つたない言葉ではありますが、逆にそれが泣ける。マイケルのほうも、結婚、離婚といろいろ経験し、そして、ようやくハンナが刑務所をでられるようになったときに・・・。


映画の構成要素としては、さまざまあるのでしょうが、やはりキーは読み書きですね。
原題は、the Readerです。
マイケルが朗読者ではありますが、ハンナも文字を覚えて、やがて自らが読者となります。
彼女がナチ親衛隊の看守としてそこでしていたことは、実はこの読み書きに関係することなのですが、ここではふせておきます。
ハンナの決断は、誰もが納得するものではないかもしれません。
マイケルも、もしかすると彼女に対してもっと行動的になれたのかもしれません。
物語の分析は様々にすることが可能でしょう。それは、この映画が恋愛だけではなく、当時のドイツの状況における正義と偏見、様々なものが入り混じっていてるからです。
この映画を単なる恋愛譚ととらえきれないところにこの映画のよさがあって、戦後ドイツにおけるナチへの対応、東西ドイツ分裂期の思想、さまざまなものが交錯しているものだと思います。マイケルが弁護士であることもまたそれに関係する重要要素です。弁護士は、正義の名をもとにひとを裁きます。マイケルは、正しいことが何であるのかを常に問うていたはずです。ハンナへの裁判に積極的に加担することもできたのでしょうが、法科の学生である彼が取った選択は、弁護士側のそれであって。それに、ハンナはきちんとした恋人だったというわけでもありません。むしろ、ハンナを擁護することは、自分のかつての情事を正当化することにもなります。このへんの複雑な事情で、彼が彼女のために唯一できることとして選んだのが、テープを送ることだったわけです。
それは、物語の最後のほうででてくる「カタルシス(浄化)」だったのではないかと。ハンナのとった行動もある意味ではカタルシスです。


ケイトの演技ももちろんすばらしいのですが、レイフ・ファインズが、マイケルの微妙な心情をうまく演じきっています。感情を抑えながら、内面をあらわすような表情。悪役もヒーローもどちらも演じられる役者だけあって、実に深い演技です。個人的にとても好きな俳優さんです。
若い頃のマイケルを演じたディヴィッド・クロスも瑞々しくてよかったです。


監督は『リトル・ダンサー』のスティーブン・ダルドリー。
割と古典的なカメラワークなのですが、それが2人の心情とマッチしていました。好きだ、この監督やっぱり好きだわ。相当熱く語ってしまいました。
まだの方は是非。