『グリーン・ブック』を観る

ネタバレありますのでお気をつけください。

 

久しぶりに映画館で鑑賞しました。駆け込みでグリーン・ブック観てきました。以下、感想。

 

想像していたよりもずっとハッピーよりな映画だったなあという感想。白人の救世主映画という見方も出来、いろいろ批判もあるようだが、わたしはそれよりも暗くなりすぎなくて、この時代のことを全く知らないような若い世代にもおすすめできそうだなと思った。映画は’黒人’ピアニストシャーリーとイタリア系アメリカ人トニーのロードムービーアメリカ各地を通るので、それぞれの土地ならではの面白さがあって、のどかなアメリカが見られ、また当時の音楽が心地よく流れるのもいい。シャーリーはアリサ・フランクリンさえしらない。我々も一部の音楽ファンをのぞいてはしらないので、そうか、こういうのが流行っていたのかと興味深く観られることだろう。

ネットで先にフライド・チキンの歴史を知るために、Netflixの『アグリー・デリシャス』のフライド・チキン回を観ておくといいというのを見て、先に拝見。フライド・チキンと黒人は切っても切れない関係で、映画でも度々登場する。

運転手のトニーが無理やり黒人のシャーリーにフライド・チキンを手渡すところが印象的。そのほかにもチキンを食べる場面はあるけれど、旅の最後のコンサートを蹴って街の黒人のバーへ行った先でもチキンを食べる。手づかみで二人肩を並べて食べ、油まみれの手でシャーリーはピアノを弾く。スタンウェイでしか弾かないはずが、ここではどこのものかもわからないピアノで演奏する。演奏はみんなが驚くほど上手い。それにバンドメンバーが加わってセッションが始まる。その時のシャーリーの顔がいちばん輝いて見えた。

シャーリー自身が、自分は黒人とも白人とも違う、一体何なんだ、と雨の中で叫ぶ場面がある。それは、おれだって、白人とは違う、とトニーが言ったことへの反撃でもあったけれど、シャーリーの心の声でもあったのだろう。農村で畑を耕す労働者ではなく、博士でインテリ、音楽においては白人同様の教育を受け、行く先々で教養ある知識人たちの前で演奏を披露する。彼らは黒人であろうと偏見なく音楽がすばらしいことを理解するという前提でいるので、シャーリーは歓迎されるが、実際、黒人という枠で扱われるため、レストランの出入り禁止、トイレは外、ホテルは黒人専用(彼らが使うホテルの一覧が書いてる本こそがグリーン・ブックという)。そんな扱いにも耐えてきた。トニーは、時に乱暴な言葉や暴力を使い、「でたらめ」をして生きてきた。そういう生き方にシャーリーは釘を刺す。暴力では何も解決しない、と強く言った場面では、即座にマーティン・ルーサー・キングといった黒人たちの活動が想起された。しかし、トニーだってイタリア系というので狭い社会で生きてきたのだ。仕事は限られていたし、家族という輪からは離れられない。家族を養う、金のためにならある程度のイカサマはした。そういうのが当たり前の社会で生きてきたのだ。それでもマフィアにはならず善良な一市民として生きているという点ではかなりまともだ。とはいえ、言葉使いも何もかも教養ある白人とは違う。黒人なのにそうした教養を持ち合わせているシャーリーが奇妙に思えただろうが、彼の言っていることの正しさに理解を示す頭はある。それに、トニーの腕力のおかげでシャーリーが助けられたこともあった。まさに凸凹コンビ、『最強の二人』を思い出す。

監督のピーター・ファレリーは『メリーに首ったけ』などのコメディ映画を撮っていたひとのよう。確かにラストはコメディ映画に近いハッピーエンド感がある。

主演のヴィゴ・モーテンセンは20キロ太って臨んだという。誰がどう見てもイタリア系ではと思わせる演技はさすが。それにしても『ロード・オブ・ザ・リング』のアラゴルンだなんて誰が信じられる?という感じ。いや、この映画のヴィゴも十分格好いいけれど。マハーシャラ・アリは『ムーン・ライト』の役とは一転、言葉遣いや身のこなしなど、役者って本当にすごいなと。助演男優賞をもらうのも納得。

 これが実話というのにも驚きである。シャーリーの曲も聴けるようなので機会があれば聴いてみたい。